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岩野田について

1897年(明治30年)4月1日 岩崎村、粟野村、三田洞村が合併して山県郡岩野田村が発足。
1949年(昭和24年)7月1日 岐阜市に編入されて岩野田村は廃止。校区名として岩野田の名が残る。

岩崎

岩崎は江戸時代末期、天領であった。
1889年(明治22年)7月1日 町村制により方県郡岩崎村が発足。
1897年(明治30年)4月1日 方県郡が分割され、岩崎村は山県郡に編入される。
1897年(明治30年)4月1日 粟野村、三田洞村と合併し、岩野田村発足。同日岩崎村は廃止。

粟野

江戸時代中期、粟野村は東粟野村と(大垣藩領)と西粟野村(高富藩領)に分立する。
江戸時代末期、東粟野村と西粟野村は高富藩領であった。
1875年(明治8年) 東粟野村と西粟野村が合併し、粟野村になる。
1889年(明治22年)7月1日 町村制により方県郡粟野村になる。
1897年(明治30年)4月1日 粟野村は方県郡から山県郡に編入される。
1897年(明治30年)4月1日 岩崎村、三田洞村と合併し、岩野田村発足。同日粟野村は廃止。

三田洞

江戸時代末期、三田洞村は高富藩領であった。
1889年(明治22年)7月1日 町村制により方県郡三田洞村が発足。
1897年(明治30年)4月1日 方県郡が分割され、三田洞村は山県郡に編入される。
1897年(明治30年)4月1日 粟野村、岩崎村と合併し、岩野田村発足。同日三田洞村は廃止。



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