ここでは皆さんの日々の体験や読書などから感じたことや、それに対する感想や思索について投稿して頂いた原稿を掲載していこうと思います。飲み物はでませんが、清少納言、鴨長明、兼好法師になった気分で、日々の暮しの中から心に浮かんでくる様々なことを文章にして、どしどし投稿してみて下さい。
まち協ふれあい喫茶への作品投稿は、こちらからどうぞ
題名:蓋とりて湯気の向こうの女将かな
投稿者:山田 和昭さん
私は今日和食処の(桔梗常)の四角い少し硬い椅子に座っている。今日の朝出勤途中の私は花に水を注ぐ女将さんと目があってしまったのだ。鉢植えの花はあまり元気がないように見える。それでもたっぷりの水をやっている。昼から気温が上がることを感じとったのだろう。
私の目の前にはぐつぐつと音を立てた味噌煮込みうどんが運ばれて来た。まるで磁石のNとSがぴったりと寄り添うように私も土鍋に近づく。その時女将さんは熱から気をつけてねと言いながら蓋を開けました。
湯気の向こうには女将さんがいた。そして女将さんはその土鍋の蓋を持っていってしまった。なんということでしょう。私にとってあの蓋はなくてはならないものなのだ。あの蓋を取り皿にして私は食べるのが好きなのだ。蓋に空いている小さな穴にスープがこぼれないように蓋と格闘するのが好きなのだ。あの穴は絶妙な位置に空いている。油断するとこぼれそうになる。しかし私は蓋の角度を瞬時に変えてその危機を乗り越える。そして何ごとも無かったかのようにうどんを食べる。まるで勝ち誇った勝利者のように。残念ながらそれが出来ない。私はまたしても宿命を背負ってしまった。あの女将さんに蓋はそのままでお願いしますと言わなければならない。そう言いばあの喫茶店でミニサラダを結局頼め無かった私は今回もきっと言えないだろう。私という人間は結局のところ自分自身の優柔不断さをただ単に楽しんでいるのかもしれません。終わり。
投稿年月日:2024年11月9日
題名:時と共に一歳になった孫
(愛犬と一歳の孫床と椅子)
投稿者:山田 和昭さん
一歳になってはしゃぐ孫が椅子に座って離乳食を手掴みで食べている。それは正に時間と共に成長した証である。私と同じ時間の流れの中で育ってきたのだ。そしてふと床に目をやると愛犬のエルが横になって寝ている。この世の終わりのような顔をして寝ている。愛犬にとって時間の流れはかなり速い。私のおおよそ6倍ぐらいである。
1日はかなり凝縮されている。そんな愛犬とただただ離乳食にかぶりつく孫を見ていると私は時間というものにとてつもなく縛られているような気がしてきました。愛犬のように時には時間といっしょに走り、またある時は孫のように時間がゆっくり過ぎていくようにしたいものてすね。そう言いながら私は時計を見てテレビのチャンネルを変えるのでした。終わり。
投稿年月日:2024年11月1日
題名:桔梗常と言う家号
(店先で掃きそうじする桔梗の)
投稿者:山田 和昭さん
どこから見ても昭和の店。和食の桔梗常(ききょうつね)。しかしながら私はその店でやたらとエアコンだけが時代を感じさせますが未だに桔梗を感じたことはありません。それは時代の流れかもしれません。その店の女将に朝一番で出会う事がある。店先の掃きそうじと僅かな丸い鉢に水をやる時に何故か目線があってしまう。その瞬間私の昼のランチは決まってしまう。私の女将に対する礼儀なのだ。そして私はその店の木製の引き戸を開けた時いつまでも桔梗を探し続けるだろう。たとえその店の桔梗が昭和の時代で終止符を打っていたとしても。
投稿年月日:2024年10月20日
題名:雑草を置き去りにして帰る道
投稿者:山田 和昭さん
私にとって草刈りは人生そのものです。私はいつも刈った草を置き去りにして我が家に寄り道もせず帰る。まるでそれが草に対する礼儀のように。そして何十年も付き合っているのに未だに最初に刈る草を見ると落ち着かない。エンジンをかけ心の準備をして草刈りを始める。後ろを振りかえる事もなくどんどん畔を進む。振りかえる必要は無い。私はただただ黙々と進む。振りかえると私の人生は終わってしまいそうだ。私にはこの草刈りをやめる自信がないのだ。しかし私はいつか勇気を持って振りかえりこの草刈りに終止符を打ちたい。たとえその後にぐんぐんはえてきた雑草に挨拶出来なくても。終わり
投稿年月日:2024年10月14日
題名:私の見た風景
(追伸)
投稿者:山田 和昭さん
私の見た風景その日彼女は何故か全身黒ずくめだった。そして歩き方がよく見るとがに股だった。その様子を見た瞬間私は時代を越えて遠い異国のチャップリンを思い出していた。或いは思い出さずにはいられなかった。その存在感だけで人々に笑いを届けるあのチャップリンを。そう思うと私は彼女をまともに見れなくなっていた。その後ろ姿を改めて見た時私はチャップリンを彼女の背中に迷うことなく見いだしていた。
そしてあの一瞬の間はまさにチャップリンゆずりの阿吽の呼吸だったのだ。終わり。
投稿年月日:2024年9月29日
題名:私の見た風景
(背中に空気を連れてスマホタッチ)
投稿者:山田 和昭さん
彼女は少し全体的に丸っこくそしてメガネを掛けている。右手にお冷やを左手におしぼりを持って私の席に近づいてくる。その時私は何故か空気の流れを感じました。きっと彼女が空気の流れを作っているのだろう。新しい発見だ。
彼女は注文をとる時いつも一瞬の間がある。私はその一瞬の間が好きです。まるで深呼吸をしているようです。私はその一瞬の間を充分に感じてから注文する。店が混んでいる時はいつも申し訳なく思ってしまう。しかしその数十秒が私に一日の活力を与えてくれる。スマホの画面を凝視して入力し注文を取り終えると彼女はまるで回れ右をするようにして厨房の方にゆっくり進んで行く。私はその時また空気の流れを感じる。彼女はこの店の空気の支配者かもしれません。私は彼女の空気の流れにそって深呼吸をする。これが私と彼女の朝の挨拶です。私はいろんな人にめくり会えて幸せなのかもしれません。終わり。
投稿年月日:2024年9月29日
題名:私の伝えたい言葉Ⅷ
(せかせかと働きアリの道しるべ)
投稿者:山田 和昭さん
私はいつものように楓並木からの木漏れ日を浴びて喫茶店にゆく。一日の始まりと人生の終わりを重ねた店だ。今日はなぜか禁煙コーナーは満員御礼だった。仕方なく喫煙コーナーのボックス席に新聞を手にして座る。少し落ち着かない。するとすぐさま給仕さんが現れる。なんという素早さだ。そしていきなり(ご注文は)と聞いてくる。私はいつもより早口で答える。彼は私の返事が終わるか終わらない内に厨房の方にするすると進んで行きオーダーを注文していた。この店は真っ赤な席が象徴的だ。それは時間の流れをゆっくり感じてほしいからだと言われている。私はその中で彼のせかせかした存在はそれなりにバランスをとっているのだと考えました。彼が運んできた全ての物は何故かどれもこれも少し緊張しているように見えました。それはまるで心と体の準備もなくマラソン大会のスタートにたつ私のようでした。私は一度新聞を折り畳み深呼吸をして水を一口飲みました。その瞬間全てのものが解放されいつもの風景に変わっていた。そして再び私は彼を見つめて見ました。働きアリのように働く彼はまるで私自身のように見えました。自分では気がつかなかっただけでした。そう思うと急に彼に親近感を抱きました。
投稿年月日:2024年9月1日
題名:私の伝えたい言葉Ⅶ
(銀色の取っ手に触れて涼かな)
投稿者:山田 和昭さん
お店の木製ドアのゴールドの取っ手に手をかけて静かに店に入る。最近の私のオーダーはホットコーヒーからアイスコーヒーに変わっている。この暑さでは瘦せ我慢してホットを頼む勇気はない。そしてやたら声が大きく背の高い新しい給仕さんが入ってきた。彼女の替わりかもしれません。
私の人生観から言えば、ホットからアイスに変わったのだから給仕さんが替わっても当然と言うべきだろう。残念な気持ちを押し殺してアイスコーヒーを注文する。その時彼はどんな物語を私に提供してくれるのかこの暑さにもかかわらず私は少し楽しみが出来ました。確かに彼女とホットコーヒーは私に運命の出会いを与えてくれた。ただ一つミニサラダを除いて。そして彼はきっとそれを超えるにちがいない。私は今正に樽の形をした銀色のアイスコーヒーの取っ手に触れようとしている。終わり。
投稿年月日:2024年8月14日
題名:私の伝えたい言葉Ⅵ
(すみっこに借りてきた猫ミニサラダ)
投稿者:山田 和昭さん
私はこのテーブルにミニサラダをいかに配置するか悩んでいた。(きっと彼女が適当に置くのだが)。そんな時隣のテーブルの人がミニサラダを注文していた。私は横目で様子を伺っていた。運ばれてきたミニサラダには二本のボトルが付いてきた。それはドレッシングのようだ。ふたつのドレッシングを使える。そしてそれは自分の好きなだけを意味する。思わず微笑んでしまった。我が家ではサラダには妻が適当にドレッシングをかけてくる。私はいつもサラダの量の割には少ないのではないかと疑問を感じていた。それはまるで目の前にある幸せがいつも掴めそうで掴めないのと似ている。結局幸せは掴むものではなく日々の生活から少しでも感じとるものなのでしょう。しかし今ここには自由奔放なふたつのドレッシングボトルがある。私はすっかりミニサラダの配置の事を忘れ(いったいどれだけこの二本のドレッシングを自由に操れるのか)といつの間にか挑戦者になっていた。
投稿年月日:2024年7月27日
題名:私の伝えたい言葉Ⅴ
(テーブルの余白を見つめミニサラダ)
投稿者:山田 和昭さん
私は最近彼女の姿を見かけなくなった。バイトのシフトが変わったのか、少し心もとない日々が続いている。私のミニサラダを注文する決心が鈍りそうだ。私の座る席のテーブルの大きさはちょうど一辺の長さが朝刊の縦の長さと同じ位の正方形をしている。あまり広いとは言えない。そこにお冷やとおしぼり、そして
やさしい籐のバスケットに入ったトーストとゆで卵、最後にカフェオレをたっぷり飲み込んだカップとソーサとスプーン。それぞれが自分の居場所を確認してバランスよく並んでいる。その回りの余白もまるでサハラ砂漠の砂丘のようにその存在感を現している。私はその時このバランスのとれたテーブルにお花畑のようなミニサラダが入って来れるのか不安になりました。それはまるでこの地球上から砂漠地帯が無くなるようだ。そんな私の思いは彼女に届くのだろうか。
投稿年月日:2024年7月14日
題名:私の伝えたい言葉Ⅳ
(扉押す会話の未来ミニサラダ)
投稿者:山田 和昭さん
私はカフェオレを飲みながら考えていた。彼女の「ご注文は以上でよろしいですか」を私なりに変換してみたのだ。素直に変換してみた。するとそこに現れたのは「ご機嫌麗しゅうお過ごしくださいませ」だった。自然に出てきた。そう考えるとなんだか嬉しくなった。一日の始まりになんと清々しい言葉なのだろう。そう言えば彼女の振る舞いにはなんとなく品がある。そして私はあまりにも彼女の言葉を正面から受け止め過ぎていたらしい。
私は彼女に敬意を表して彼女が「ご注文は以上でよろしいですか」と尋ねてきた時、新しい試みをしようと決意した。それはなんと「ミニサラダ」を追加注文することだった。その時新しい会話の扉が開かれるかも知れない。わずか280円の追加料金を払うだけで。
投稿年月日:2024年6月30日
題名:私の使いたい言葉Ⅲ
(静物のコーヒーとパン湯気の立つ)
投稿者:山田 和昭さん
その日は朝早くから何故か混み合っていた。席順を待つ人もいた。私は運良く喫煙コーナーが空いたので鮮やかな赤い生地の席に座った。その時彼女が注文を取りにいつものようにやって来た。しかし彼女はおしぼりとお冷やをさっと置いて立ち去って行った。どうやらまだ注文を取っていないお客さんがいるようだ。そして私はその数分後に未知との遭遇に出会った。
新聞の一面を読み終えた頃、なんといつものカフェオレとパンとゆで卵がテーブルに置かれたのだ。まるでそれは静物のように静かに現れた。私は心の中で叫んだ。まだ注文していないと。
彼女はあまりの忙しさに注文を受けたと勘違いしたのか、或いはまた注文を取りにいくと時間が掛かると思い、先にオーダーをしてくれたのか、私は後者だと信じたい。そして私はこの出来事をこれからも彼女に注文する都度思い出すだろう。真実が何であったかは別にして。
投稿年月日:2024年6月23日
題名:私の使いたい言葉Ⅱ
(沈んでいくことばと新メニュー)
投稿者:山田 和昭さん
私は暫く彼女に注文することは無かった。しかしある日いつものようにカフェオレとトーストと茹で卵を注文しました。すると彼女は(ご注文は以上でよろしいですか)とは言わずに(かしこまりました)と言って静かに去って行った。私は(うん?)と思いましたがそのまま新聞の活字に目を移しました。彼女はいつものセリフを言わなかった。偶然なのか必然なのか、いずれにせよ彼女は私とのやり取りでは必要ないと思ったに違いない。それは彼女の成長の証かもしれません。
私の隣の席に年配の夫婦が座りました。そこへ彼女が注文を伺いに来ました。その夫婦はメニューを見ながらふたりでかけ合いの漫才のようにニコニコしながら注文をしていました。時々迷ったりメニューを何回も見ながら決めていました。そんな注文だったので彼女は会話の流れに沿って最後に(ご注文は以上でよろしいですか)とはきはきした声で聞いていました。私はその時もし私がいつもの注文を全て覆して、慣れない手つきでメニューを広げ迷いながら彼女に注文をして見たくなりました。きっとその時彼女は私のいつもと違う注文を聞いて(ご注文は以上でよろしいですか)と尋ねてくるに違いない。私はわがままにもそんな彼女の声を聞きたくなりました。そしてその瞬間私と彼女の(以上)という物語は完結するはずだ。私に新しいメニューを注文するわずかな勇気があれば。
投稿年月日:2024年6月14日
題名:私の使いたい言葉
(ルーティンのうしろ姿のカフェオレと)
投稿者:山田 和昭さん
馴染みの喫茶店でいつものようにカフェオレを注文する。最近の私の好みである。モーニングは飲み物とパンの種類とその他にもう一点、茹で卵か卵ペーストが選択出来ます。私は毎日ほぼ変わらない。そんな私にウエイトレスの彼女はいつも最後に(ご注文は以上でよろしいですか)と聞いてくる。何度も聞いていると若干違和感を覚える。私はいつもほぼ同じものを注文しましてや追加注文する事は皆無である。彼女はまるでルーティンのように笑顔で毎回言ってくる。ある時私はすべての注文を言ったとき彼女の次の言葉を遮るように(注文は以上です)と少し力強く言いました。彼女は一瞬戸惑ったように(かしこまりました)と言って厨房の方へ去って行きました。そのうしろ姿はいつもより小さく元気が無かった。私は彼女のルーティンを奪ってしまったのでは無いかと後悔しました。それ以来私は(以上)と言う言葉を使っていません。そんな言葉をどうしても使いたくなりました。(以上)
投稿年月日:2024年5月26日
題名:孫の初節句によせて
(テーブルに 和菓子ふたつと 兜かな)
投稿者:山田 和昭さん
孫の初節句、在所にいる孫は兜を被って目を丸くしている。そんな我が家のテーブルには何故か「ちまき」と「柏餅」が並んでいる。柏餅は昨日娘が置いていったものだ。妻はそれを知ってか知らずか、ちまきを衝動買いしてしまったらしい。私はどちらを食べるべきかいつものように哲学的に悩んでいる。妻は右手に柏餅を左手にちまきを手にしている。どうやら食べ比べをするようだ。
童謡の「こいのぼり」の1番にはお母さんの赤い鯉は何故か出てこない。忙しいお母さんは真鯉と小さな緋鯉を我が家の庭から優しい目をして見守っているに違いない。そして右手に柏餅を左手にちまきを手にしているかもしれません。我が家と同じように。
投稿年月日:2024年5月6日
題名:今も昔も百円玉
握りしめ百円玉をいつまでも
投稿者:山田 和昭さん
私はいつもの喫茶店に今向かおうとしている。右手には手触り感の良いコーヒーチケットと百円玉を握っている。その百円玉はカフェオーレの普通サイズの1.5倍を注文するためである。いざ注文してみるとカップは大きく重厚感があった。私はまるでガリバーになったような気持ちでした。カップに合わせて私は心も体もとてつもなく大きくなったのかもしれません。この百円玉は私に夢を見させてくれた。パンをかじり、ゆで卵を食べ私はレジに向かいました。そして握っていた百円玉をそっと開くとそこにはさくらの花が桜色して咲いているようだった。(百円玉の絵柄は桜花です)
その桜はもしかしたら遠い昔から咲いていたのかもしれません。はな垂れ小僧の頃、母親から百円玉一つを右手の手の平に受け取りみんなと一緒に駄菓子屋さんに走っていった。何を買うのか迷うのが愉しかった。そして私はその時ガリバー旅行記の小人だったに違いない。すべてのものが自分より大きく見えていた。たった一つのあめ玉さえ存在感があった。そしてそれを百円玉と公園に咲いている桜が見守っていた。
投稿年月日:2024年4月7日
題名:弥次郎兵衛
昭和の誇り高き時間と光
投稿者:山田 和昭さん
私はいつものカフェで珈琲と一欠片のパンとSサイズの茹でたまごを新聞を見ながら当たり前のように頂いていた。しばらくしてこの禁煙コーナーにまだ新人らしさを残したサラリーマンが私の席の右側に座りました。そして注文したのはブラックコーヒーだけだった。昭和生まれの私には想像できなかった。いわゆるモーニングの付くコーヒーに、ただコーヒーだけを注文することが。すぐさまカバンからノートパソコンを取り出し手際よくキーボードを叩く。そして今度は私の左側の席にどんな職業か全く感じさせない服装でスマホをいじりながら一人の青年が座りました。注文したのはホットドッグだった。しかも飲物は要らないと言う。私はまたしても驚いてしまった。ホットドッグとコーヒーは定番ではなかったのか。真ん中に座っている私は心を落ち着かせてゆっくりインクの匂いのしなくなった新聞をなるべく音をたてないようにめくりました。
時代を代表するような三人が並んで座っている。もはや私の感覚は過去のものなのだ。私はふと真ん中に座っていることが嬉しくなりました。私の主な年金生活を支えてくれているのは、もしかしたら左右の青年ではないのかと思いました。彼らが支払いをする事で私が受け取れる。そんな流れがある。そしてそれはまるで危うい弥次郎兵衛のようです。私は右に振れまたある時は左に振れ弥次郎兵衛のように生活をこの青年ふたりと共に送っているのかもしれません。そう思うとモーニングを注文しないこともホットドッグにコーヒーを付けないことも自然なことのように思えてきました。
以上、昭和にすがって残りの人生を全うしたいモーニングとコーヒーとインクの匂いのしない新聞をこよなく愛するものより。
投稿年月日:2024年3月3日
題名:お食い初め
放課後の 冷えたシチューと お食い初め
投稿者:山田 和昭さん
私はその日朝から少し嫌な予感を感じていた。今日は孫のお食い初めの日です。そして私自身はかなり食べ物に対して好き嫌いがあります。家族全員が集合すると焼き肉がいつもの定番メニューとなる。私はその時、夏でも無いのに蚊帳の外の扱いになります。そもそも生命は海から始まったのだから、私が少しの野菜と魚を好んで食べるのは人類の歴史に沿ったものです。たぶん。
そしてお食い初めの儀式が始まる。最初に誰が祝い膳の赤飯を孫に食べさせるのか、案内状には男の子には祖父で最年長の人が相応しいと記されている。それはまさに私だった。一生食べ物に困らないようにとお食い初めがある。未だに小学校の給食の想い出から逃れられない私は、本当に適任なのかと心が折れる。あの夕陽が沈む放課後、教室に残され冷えたクリームシチューとにらめっこして、ただ時計だけが進むあの想い出は忘れる事はありません。神様も意地悪です。
気持ちを切り替え祝い箸で赤飯をそっとつまみ、孫の口元に添える。あまり表情は変わらない。しかし、孫と目と目が合ったとき僅かに口角を上げ笑ったように見えました。
祝い膳の横に今日は俺が主役だとばかりに陣取った海からやってきた尾頭付きの鯛が、まるで立会人のように私と僅かに笑ったように見えた孫をいつまでも見ていた。
投稿年月日:2024年2月4日
題名:歩道の隅に楓かな
投稿者:山田 和昭さん
冬になり日が早く落ちるようになった。それは日照時間が短くなった事を意味する。楓の葉っぱももうすぐ終わる。落ちていく葉っぱは思うように光合成が出来なくなり自分自身の進む道を決めなければならない。そして自ら持つ栄養分を小枝や幹に移動させていく。(転流と表現される)そして褐色の葉っぱとなり楓の木から離脱していく。それが自然の営みだと判っていても私にはとてももの悲しい。落ちていく葉っぱは一瞬後ろを振り返り、自分の行為は決して無駄ではないと思い、いつも緑色した常緑樹を横目でちらりと眺め貴方とは生き方が違うのよと感じゆらりゆらりと風に乗る訳でも無く落ちてゆく。
今、私は勝手ながら孫のもみじのような手を見て、この手と手をつなぎ何を転流させる事が出来るのか、初夢ではなく現実的に考えてしまった。
投稿年月日:2024年1月1日
題名:不思議な感覚
投稿者:山田 和昭さん
それは不思議な感覚だった。その日は孫が産まれる本命日。朝からそわそわして落ち着かない私は、席を離れ1階ロビーまで足を運んだ。いつも見る風景がそこにはある。手前の歩道には楓並木が、道路の反対側には銀杏並木がお互いに自己主張している。私はロビーから紅葉した楓と黄色に輝く銀杏、そして青い空と気まぐれな白い雲を見るのが好きだ。まるで風景画のように自然はいつもカラフルな色彩を表現しなければならない宿命のようだ。その時、手前の楓の木が風も無いのにざわざわと大きく揺れているように見えた。私は階段を駆け上がり自分の席に戻った。暫くするとラインに♡マークが現れた。私はその時確信した。
その後、産まれてきた赤ちゃんの名前に楓の一文字が入っている事を知らされた。私が見た風も無いのにざわざわと大きく揺れていた楓の木は、大自然と私の会話だったのかもしれない。
投稿年月日:2023年12月3日
題名:歩き出す 青のランプに 背を押され
投稿者:山田 和昭さん
私はいつものように朝日に向かって歩いている。街路樹の楓のように心から感謝する方法は知らないのでただ歩いている。しかしふと後ろを振り向くと私自身より長くて真後ろではなく角度を持った影が私に着いてくる。この世の全ての色を失ったかのようにまっ黒な色をしている。まるで鳥がそこに集まったかのようだ。そして左側に立ち並んだビルの1階のショールームや会社の受付の巨大なガラスには私自身の左側面がはっきり写っている。私は3人いた。ただ前だけを向いて歩いている私。世の中を捨ててしまった黒い影。そして論理的思考しか出来ない左脳を持った左側の私。そんな事を考えていたら、左側のビル群が途切れ、朝日に気まぐれな雲がかかり、私はまたひとりぽっちになってしまった。赤信号で立ち止まっていた私は、一瞬戸惑っていたが反射的に青信号に押され、また歩き出す。そして喫茶店に入り熱いコーヒーを一口飲んだとき私はなぜか思いました。あの角度を持った黒い影も論理的思考しかできない左側面の私も、できる限り守ってやりたいと。それは自分自身のこの世の中における表現方法だから。私は飲み終えたコーヒーカップに3人分の有難うを心の中で言いました。
投稿年月日:2023年11月25日
題名:テーブルに かくれ家見つけ 年輪の
投稿者:山田 和昭さん
いつものあの喫茶店でいつものように珈琲を飲みながら私は思う。私はいつも誰かに見られている。しかもじっと。そっとコーヒーカップを持ち上げその下を見るとそこには直径25ミリ程の木の枝の節があった。この無垢板のテーブルには他にもいくつか節がある。その中でもこの節はまるで宇宙の中の月の様な存在感がある。よく観察してみるとそこには春と夏が織りなす年輪がおぼろげながらに見える。そして更に目をこらしてみると九つの年輪が確認できました。9年間はこの喫茶店の窓から見えるあの街路樹の木の小枝のように太陽の光を浴び雨にうたれ風になびいていたのだ。
今、私の目の前にあるこの節は、地球の自転が続き人類が生き続けそしてこの小さな喫茶店が店を開く限りここに存在する権利をもっている。私はまた不覚にもこの二つを比較してしまった。二者択一なら私はこのテーブルのお月様のような節と窓から眺める生命力のある小枝とどちらを選ぶだろう。そういえば私は二者択一に滅法弱い。それは妻が全てを物語っている。
現在と未来のどちらを選択すればいいのだろう。或いは私にはもう選択する余地は無いのかもしれません。
私は珈琲を飲み干し自分自身に終止符を打つ為、飲み干したカップをお月様(節)の上にそっと置きました。
投稿年月日:2023年10月29日
題名:続(前回より)手つかずのおしぼりとお冷や
投稿者:山田 和昭さん
テーブルの 賑わい見せる 風景画
あの、手つかずのおしぼりとお冷やが偶然またやって来た。喫煙コーナーが満席で、かつ禁煙コーナーの席が私の隣しか空いてなかった。まるで諦めていた父の日のプレゼントのように。
そして窮屈そうにビニール袋に入ったおしぼりを横目にコップの表面に付いた水滴がもう限界だと言って流れ出した。それを見ていた私は自分のテーブルの上のおしぼりをもうこれ以上丁寧に畳めない位に畳み、おしぼりの入ったビニール袋を小さく丸めコップの水を全て飲み干しそれぞれの役割をすべて静かにまっとうしました。まるで私だけの静物画のように。
すると、その時隣のテーブルで何かが動きました。彼女は小さなバッグから何やら出しているようです。そして彼女はいつも通りのようにビニール袋からおしぼりを取り出し、右手で左手の手のひらを綺麗に拭きそのおしぼりを無造作にテーブルに投げました。そのおしぼりはまるで裾野をとても広く持った山のように円錐の形を残してテーブルに現れました。そして左手の手のひらに薬らしき錠剤を二粒のせて、今度は右手に水滴のびっしょり付いたコップを気にする事も無く高く持ち上げ、口に放りこんだ錠剤と共に一気に水を飲み込みました。
コップをゴツンとまるで世界中の何処に居ても分かるような音を発しておしぼりの横に置きました。コップの表面は揺れている。そして、コップの上の縁をよく見ると僅かに真っ赤な口紅の後がついている。それは寝坊した朝日のようだった。
彼女は全ての静物に命を吹き込み、そのテーブルには生き生きとした山と海と寝坊した朝日が絵画のような風景画を見せている。彼女は満足したのか、その風景画を包み込むようにして立ち上がり優しく伝票を手に取りレジに消えて行きました。
その時、私は私自身の思いやりのなさに愕然としテーブルの右端にある伝票を労うように手に取りレジに向かいました。しかしそこには彼女の姿はもう無かった。私のテーブルには殺風景な姿が残り、隣のテーブルの風景画の引き立て役となってしまっていた。
投稿年月日:2023年10月9日
題名:喫茶店の静物
投稿者:山田 和昭さん
おしぼりと 静物として お冷やかな
私の朝のコーヒータイム。朝の忙しいひととき、道行く人も早足だ。まるで運動会のムカデ競争のようだ。
私の隣のテーブルに一風変わった女性が座っている。禁煙コーナーなのに何故かたばこが無造作に置いてある。きっと後から気付いたのだろう。そして何より目を引いたのはビニールで包装されたおしぼりとそのおしぼりに寄り添うお冷やが手つかずのままです。この人にとっては必要の無いものなのか、或いはエコを意識してか。私はそのおしぼりとお冷やをじっと観察してしまった。するとその様子に気付いた彼女は伝票を鷲掴みにしてレジに去って行った。何か悪い事をした気持ちになりました。テーブルに残されたおしぼりとお冷やは、まるで絵画の中の静物のようだった。
私はその沈黙を破るため自分のテーブルにあるお冷やのガラスのコップにストローをさして息を吹き込みました。何度も繰り返しました。するとまるでコップの底から水が湧き出てくるようだった。水の源流のように。その時、私は回りの視線を背中に感じました。どうやらやり過ぎたようです。私はあの彼女と同じように伝票を鷲掴みにしてレジに向かって行きました。
静と動の水、これでバランスが取れる筈だ。
投稿年月日:2023年9月17日
題名:私と珈琲の脇役
投稿者:山田 和昭さん
今日もまた 浮いた氷の プライドよ
喫茶店で最初に出てくるおしぼりとお冷や。仲良くまるで人生の相棒のようだ。私はまたいつもの詮索する目でお冷やをじっくり観察してしまった。この世の物のすべてに存在感を求めるように。ガラスのコップには四角いサイコロのような氷が四個絡み合うように浮いている。液体の水に固体の氷が浮いている。不思議と言えば不思議だ。そして今日も浮いている氷は肩を寄せ合って限界までとけるものかとひとつひとつの氷がそれぞれのプライドを持っているようです。さらに不思議な事にガラスのコップの表面にはとても小さな水滴がへばりついている。それはまるで我が家の玄関ドアにへばりついているアマガエルのようだ。暫くして仲良くしていた氷の一部が溶けカラカラと音を立てて水中に一瞬沈みました。それを合図にしたかのように、ガラスの表面にへばりついていた水滴が一筋流れました。それはまるでこのコップが地球そのものを現しているようだった。北極の氷が浮かぶ地球に住む私たちはそのほんの僅かな表面に生きているに過ぎない。コップの表面から流れ落ちた水滴はこのままでは流れ落ちることを暗示しているかもしれません。しかし、私が自宅に帰り玄関ドアの取っ手に手を掛けるとアマガエルはまだそこにいた。私はアマガエルに救われた気持ちになりました。
投稿年月日:2023年8月27日
題名:私と懲りない珈琲Ⅳ
投稿者:山田 和昭さん
縁日の 背中に乗った 吹き戻し
私はホットコーヒーに注ぐスティック状の砂糖に思い出を見つけました。毎日コーヒーに入れる砂糖。あるとき私はその空のスティック状の筒をくるくると巻いてみた。するとその筒は元に戻ろうとゆっくり動き出した。それは遠い昔、あの縁日で娘が手にした吹き戻し(笛)のようだった。私の背中にいた娘は、その吹き戻しを口にくわえたまま祭り囃子を子守唄がわりに聞きながら寝ていた。
私が注文したホットコーヒーには当然のことながらストローがついていない。しかしこの吹き戻しを完成させるにはストローが必要だ。でもストローはカウンター越しの目の前においてある。私はマスターの顔を横目で見ながらストローを一本拝借し、蚊取り線香のようになったスティック状の砂糖の筒に差し込んでみた。これで完成だ。しかし、さすがにこの場で吹く勇気はない。吹いた瞬間、私の背中で寝ている娘が起きてしまう気がしたから。
投稿年月日:2023年8月12日
題名:私と珈琲Ⅲ
投稿者:山田 和昭さん
ふるカフェの 天井見上げ きつね色
ちょっとしたふるカフェに何故か妻と行く。置いてけぼりの愛犬エルは吠えてはいたけれど、さほど違和感を感じなかった。私は珈琲といわゆるモーニングをいただく。モーニングは三角定規のようなきつね色に焼いたトーストとペースト状のたまごです。それはパンに塗っても、或いはそのまま食べても良い。しかし私にはその発想が無い。妻が席を外したその時を私は待っていた。私は素早く三角定規の耳のない斜辺にスプーンで切り込みを入れ中身を少しくり抜く。そしてペースト状のたまごを満員電車の発車に合わせて駅員が乗客を押し込むように詰めていく。こんがりときつね色に焼いたたまごサンドイッチの完成です。このふるカフェには無い私のオリジナルだ。その時私はふと天井を見上げ骨太の湾曲した梁を見つけた。ずっとずっと昔からそこにいた変わらぬ存在感ある梁です。私はその梁と私自身を重ね合わせてしまった。私の遊び心をとても恥ずかしく感じました。と同時にこの湾曲した梁も漆喰の白に対抗してブラック珈琲のように漆黒の色をしていた。私以上に遊び心があるなと思いました。
突然妻が戻ってきた。しかし私の作ったサンドイッチに気付く様子は無い。私は天井を見上げながら食べました。
投稿年月日:2023年7月23日
題名:私と珈琲Ⅱ
投稿者:山田 和昭さん
珈琲の 3秒間の 泣き笑い
これ以上ない純白のカップに、決してその純白には交わらないブラックコーヒーが私のテーブルに静かにやって来た。何かを言いたそうな直径約8cmのカップ。どうやらそのカップは暗闇の世界の鍵のない入り口だった。私は目を閉じてそのカップからとてつもない深海に向かってぐんぐん潜ってゆく。もう二度と太陽の光を浴びる事は無いだろうと思いながら。暫くすると水道の蛇口からポタポタ漏れてる水滴のように
あの白いフレッシュが落ちて来た。暗いトンネルの出口を探すように。沈んでゆく私に光が射し込んだ瞬間だった。私はそのフレッシュのトンネルを力強く浮かび上がってゆく。蒸気機関車のように。ついに見えて来た。ブラックコーヒーの水面が。後少しであの喫茶店に射し込んでくる朝日を浴びる事が出来る筈だった。その時私はものすごい勢いで落ちてくる砂糖の砂にすべてを奪われてしまった。重力を最大限に利用した砂糖の砂に。私は何処へ行ってしまったのだろう。
静かに目を開けると、私は足を組み替えていつものように左手でコーヒーカップを持ち右手に添えた新聞を見るともなく見ていた。
投稿年月日:2023年7月9日
題名:私と珈琲
投稿者:山田 和昭さん
底の砂 みなもの模様 いとおかし
私はコーヒーに小さなカップのフレッシュを入れます。必ず入れます。そしてスティック状の砂糖も。どちらかと言うと賑やかなコーヒーです。
フレッシュの蓋を半分開けカップの真ん中に静かに注ぐ。暫くするとフレッシュがまるでくじらが呼吸をするため海面に現れるように浮かび上がってくる。みなもにはアメーバーのようにくねくねと現れる時もあり、また南極大陸のようにしっかりとした自己主張をすることもある。その日の天気によっては全て溶け込んでしまうときもある。そして私はそこでじっくりカップをのぞき込む。まるで鏡に映った自分自身を見るように。ふと私は思う。このコーヒーカップに映し出される模様は私自身の心模様ではないかと。自分の心がどこにあるか私には判らない。しかし今、私はそれを見ているのだろう。そしてコーヒーを飲み干すとカップの底から砂が現れた。砂糖から糖が抜け出た砂が。どうやら私はかき混ぜるのを忘れたらしい。私はいつもこの心模様と時々現れる砂に一日の始まりを託しているらしい。
投稿年月日:2023年6月24日
題名:華の60代
投稿者:神谷 富雄
私の持論なのですが「華の60代」というのは、
1,60歳を迎え会社を定年退職し時間的余裕ができる(近年は定年延長とか、再雇用等で必ずしも60歳では無くなっていますが)
2,60歳はまだまだそこそこ動ける体力はある。
などなどの理由により、現役時代には出来なかった趣味やら旅行等、今しか出来ない事にチャレンジしよう、それこそ「華」がある一時代(10年)を過ごそうと夢がもてる60代ということです。
で、現在「華の60代」も半分が過ぎました。思い描いた60代とは少々異なる様です。趣味、旅行ばかりで過ごす事は当然できません。地域の役(ボランティア活動)をそこそこ引き受け、それなりに地域に貢献?し、新しく会社勤めもやりましたが百姓との両立が難しく会社をやめ、今は百姓をメインに過ごしています。
60代半分を経過して良かったと思える事は、地域の役や趣味のゴルフを通じていろんな方々と知り合いになれ、皆さんに良くしていただいていることです。現役時代は地元にいても挨拶程度で終わっていたのが、地域の課題を共有できたり世間話等を通じて私自身の事も知ってもらえたかなと感じています。
今、平均寿命も伸びてます。私の持論も「華の60代」ではなく「華の60&70代」と言い換える必要があります。ただ一つ、これには大前提があります。条件の2番「体力」です。動ける体力が重要です。その為に身体を動かし体力維持を図ろうと思います。
皆さんも、明るい未来に向けて、健康に気をつけ、体力維持、アップに頑張りましょう。何しろ、今このときが自分自身の人生の中で一番若いんですから。
投稿年月日:2023年6月6日
題名:異次元の雲
投稿者:山田 和昭さん
かおり立つ スプーンひとつ 若葉かな
店先の若葉が白い雲の隙間から差し込む朝日を受けてキラキラ光っている。
私はいつもの席に新聞を片手に座る。暫くしてゆらゆらしたちょっぴり白い湯気と共にコーヒーが運ばれて来た。じっとそのゆらゆらした湯気を見ていた私は「これは私だけの世界一小さい雲だ」と思いました。
新聞を広げるといろんな文字が踊っている。まるで朝日を待っていたかのように凜としている。私には【異次元の少子化対策】という言葉が脳裏に焼き付く。この地球でも異次元が体験できるらしい。そしてコーヒーにフレッシュと砂糖を入れ、スプーンで時間が停まったかのような感覚でゆっくりかき混ぜる。一番緊張する場面だ。スプーンをカップから引き上げた時、世界一小さい雲と店先の真っ白い雲が同時に消えてしまった。私は本当の異次元を体験したかもしれません。新聞の異次元という文字が寂しそうでした。
投稿年月日:2023年6月4日
題名:地球の毛穴
投稿者:山田 和昭さん
田起こしお疲れ様です。
日本の農業の原点ですね。沢山の鳥が集まってきたのは、日本人が農耕民族となった日の田起こしの時からきっと決まっていたのでしょう。
「田起こしの 牛の背中に 止まりけり」
田起しにはまるで地球の毛穴の一つを解放するような爽快感がある。そして主役が農耕牛(馬)から機械化されても、集まる鳥たちは戸惑い無くどこからともなく飛んで来る。私が見たあの牛の背中に、あたかも自分の居場所のように堂々と止まっていた小鳥さんが懐かしい。願わくば運転手さんの右肩に止まる小鳥さんがいることを夢見ています。きっとその小鳥さんは遠い昔、牛の背中に止まっていたはずだから。
投稿年月日:2023年5月21日
題名:田起こしと鳥
投稿者:神谷 富雄
田植前にトラクターで田を起こしていると、餌を求めて何処からかいろんな鳥が集まってくる。アオサギ、シラサギ、トビ、カラス、ケリ、スズメなど。田を起こすと地中にいるカエルが飛び出してくる。それを狙ってトラクターを恐れることなく、すぐ近くまで寄ってきて、獲物が動いた瞬間にくちばしで捕らえる。その素早い動きは驚きだ。
カラスは捕まえると直ぐに丸呑み、サギは飲み込みやすいようにカエルの向きを変えてから飲み込む。中には用水で洗ってから飲み込むサギもいる。
一羽のアオサギがカエルを捕まえたものの、くちばしに咥えたままジッとしている。田の端まで進んで折り返してきても、まだそのままジッとしてこちらを見ている。「どうすればいい?」もしくは「何見てんのよ」と言っているようだ。おそらく捕まえたカエルが大きすぎて飲み込めなくて困っているようだ。すると今度はシラサギが野ネズミらしき物を捕まえてきた。3㎝ほどはあろうかと思える物をそのシラサギは一気に飲み込んだ。しかし、大きすぎて喉にこぶができている。二三度ゴックンとやって、ようやく胃の中に落ちたようだ。一方、トビは几帳面。捕まえたカエルを足の爪で押さえ、くちばしでついばんで食べている。
鳥も種類によって、また個体によってもいろいろあるんだなぁと鳥の生態について勉強になりました。
おっと、そんなことに気を取られて田起こしが真っ直ぐではなく、ゆがんでしまった。
投稿年月日:2023年5月17日
題名:私とエルとそしてカラスとたんぽぽの数学的考察
投稿者:山田 和昭さん
(ネクストバッターサークルの続編)
三角に それぞれの宿 角度あり
私とエル、そしてカラスとたんぽぽを一つの線で結んでみると綺麗な直角三角形を描いている。私たち三者はそれぞれの角度を担っている。そしてカラスがねぐらに帰ろうと、私とエルが車で買い物に出掛けようと、三角形の形は形成される。角度と辺の長さはそれぞれの生活スタイルを現す。この三角形は永遠です。その証としてそれぞれの角度の合計は常に180度である。カラスが空高く飛べば飛ぶほど私とエルは背伸びができる。私がバドミントンでネット際に落ちそうなシャトルを拾うため、コートすれすれに飛び込めばカラスは大きく羽根を広げる。
もし、カラスが私とエルに歩み寄り、このグラウンドの見える歩道に降り立てば、私とエル、そしてカラスとたんぽぽが一直線上に並ぶ。そしてそれは究極的なあの三角形の角度の合計となる。直線は180度である。
私はそんな日を夢見て、カラスがいつかあの電柱のてっぺんのネクストバッターサークルを卒業して地上に舞い降りる事を夢見ています。尚、数学的見地には個人差があり、信じるか信じないかはあなた次第です。
投稿年月日:2023年4月30日
題名:ネクストバッターサークル
投稿者:山田 和昭さん
サークルの 片膝ついて たんぽぽと
エルと日課の散歩に出かける。今日は何故か愛犬のほうがそわそわしていた。きっと私には判らない春の匂いを感じたのでしょう。いつものグラウンドで少年野球の試合をやっていた。白熱しているようだ。私はその時ネクストバッターサークルの中で片膝をついて、左手にバットを持ち戦況を見つめている少年と一瞬目が合ってしまった。少し不安そうな目をしていた。
しかし、あのサークルは白線で囲まれ、何処が始まりで何処が終わりかさえ判らない。或いは永遠を表しているのかもしれない。僅か直径1.5メートルほどのサークルは、この広いグラウンドの中で君だけのものだ。そして片膝をついて見るグラウンドは、より地面に近くなり迫力があるはずだ。私はその少年に向かってにっこり笑っていた。
そんな事があり私が散歩を再開しようとすると、エルは何故か私の周りをゆっくりとぐるぐる回り始めました。まるで私だけのネクストバッターサークルを描くように。エルが元の場所に戻った時、私は片膝をついてしゃがんでみました。あの少年のように。すると私の目に入ってきたのは電柱の足元に隠れていた僅かに見える一輪のたんぽぽだった。そして見上げると、そのたんぽぽと遠い昔からの友達であるかのように、その電柱のてっぺんに一羽のカラスが止まっていた。僅か直径数十センチの自分だけの不変なネクストバッターサークルに。
投稿年月日:2023年4月7日
題名:ちはやふるのブロッコリー
投稿者:山田 和昭さん
ころもまう 紅葉の中 ブロッコリー
天ぷらそばに「ちはやふる」を見つけて暫くが過ぎたある日、私は我が家の壊れかけた掃除機に吸い込まれるように老舗のそば屋さんに行きました。そして天ぷらそばを注文しました。いつもの席でいつもの女将さんに。私が注文したとき、私はてんぷらそばの「てん」しか発音してないのに何故か女将さんは伝票に天ぷらそばと書き込んでいました。これは、あうんの呼吸か、或いは私の注文は天ぷらそばしかないと思われているのか、少し複雑な気持ちになりました。
天ぷらを食べ進めていくと、そこに新緑色したブロッコリーの天ぷらがありました。他の天ぷらのように紅葉したくても紅葉できないブロッコリーが。しかし、そのブロッコリーはどんぶり全てを圧倒するみずみずしさがありました。ブロッコリーは自分自身にとって紅葉とは何か、またこの天ぷらそばの中の自分の役割は何かを考えているようでした。
そして、ブロッコリーは今にもそばといういかだに乗って竜田川の川下りをしようとしていました。私はそんなブロッコリーを竜田川ごと一気に食べてしまいました。その時から私は少し苦手なブロッコリーを好きになりました。そして女将さんがお茶のお代わりをしてくれました。お茶を飲もうと湯飲みを両手に持ち、そっと覗くとそこには茶柱が立っていました。
投稿年月日:2023年3月17日
題名:とことん千早ふるに溺れる
投稿者:山田 和昭さん
いっぱいの 天ぷらそばの ちはやふる
ちはやふる 神代も聞かず 竜田川 からくれないに 水くくるとは
馴染みのそば屋さんで久々の天ぷらそばを例のごとく注文する。私は、そのどんぶりから溢れんばかりの天ぷらそばを見た時、どんぶりのあちらこちらから「ちはやふる」が滲み出ている事に気がつきました。まるで温泉を掘り当てたように。
この海老の頭と髭と尻尾は真っ赤に染まったもみじを表し、少し黃色っぽい衣は紅葉の始まりを表現している。そして、そばのだし汁はまさにからくれない色に染まった竜田川ではないか。川の流れをそばが仲良く並んでこっちだよと言っている。
ここに私だけのかるた取りの結末があった。
投稿年月日:2023年2月28日
題名:ふたりだけのかるた取り
(天ぷらの 上向きの声 かるた取り)
投稿者:山田 和昭さん
私は馴染みのそば屋さんで、あることに気付いてしまいました。そのお店は天ぷらがよく出ます。そして混んでくると、まるでかるた取りの上の句を詠むように「ただいま天ぷらは大変混んでいるので」ひと呼吸して「少々お時間がかかりますがよろしいでしょうか」と声が掛かります。私はこのフレーズを覚えるつもりも無かったのに覚えてしまいました。
ある日、私が天ぷらそばを注文して、女将さんが「ただいま・・・」と言った瞬間、私はテーブルの右端を軽く叩いて、かるたを取るように心の中で「少々・・・」とつぶやく。これで注文が成立した気持ちになりました。
誰もしらない、そして誰も気付かない私の『ちはやふる』でした。
投稿年月日:2023年2月12日
題名:一斤の 暖簾くぐりて 蕎麦の音
投稿者:冬帽子さん
昔ながらの言葉がぴったり合うそば屋さんに、久しぶりにおそがけの昼食に向かいました。電子マネーを全く受け付けない少し古くなったのれんをくぐる。その仕草が何とも嬉しい。いつもの席に座る。すると女将さんが「今日はそば一斤ときしめんとうどんがあります」と言ってきました。私は何故か「いっきん」という言葉に反応して天ぷらそばを注文しました。そしてスマホを取り出し「いっきん」を調べようと思いました。しかし、私は暖簾をくぐった瞬間から昭和の人でした。スマホをそっとポケットに押し込み、ロダンの考える人のように思案しました。そう言えばパンの単位に一斤があったような気が…
そんなとき、私の前に一人前の天ぷらそばが置かれました。今日は成功しました。ますます私の気持ちは高ぶってしまいました。私はこのそばが、今日最後のそばである事を今の自分と重ね合わせ、噛み締めるようにズルズルとそばを頂きました。
私は今日の最後の天ぷらそばに、まるでこの令和の時代から取り残された昭和のそば屋を重ね合せていたかもしれません。
投稿年月日:2023年1月22日
題名:白いテーブルの だんごと すずめたち
投稿者:冬帽子さん
愛犬エルと夜逃げのような散歩に出掛ける。家を出た途端つつじの緑地帯から鬼ごっこをしていたすずめ達が一斉に目の前の電線に向かって飛び立って行きました。
五本の電線にまるでどの電線のどの位置に停まるかを判っているように。
すずめはそれぞれ白いまん丸のおなかを横一線に並べ、背中の羽根はきつね色を見せている。その光景は私が日本茶を飲みながら見た1時間前の光景と似ている。そこに青空から雲が白いテーブルの形をして全てを包み込んでいきました。
そしてほんの1時間前、私はのどかに日本茶を飲みながら、ほかほかのみたらし団子を頬張っていた。その私の姿を愛犬エルは我が家の白いテーブルの下から見ていました。しかし愛犬エルは盛んに尻尾を振っている。以前あのチュンチュン鳴くすずめさんを追いかけていたように。きっと串に刺さったおだんごがすずめさんに見えたのでしょう。
そして事件は起きた。
愛犬エルは白いテーブルの丸っこい角に飛びつきました。おだんごを包装していた緑色の包装紙を引っ掻き回しました。床に落ちてきたのはみたらし団子だった。すずめさんでは無い。
その時愛犬エルは本能の趣くまま豹変しました。私が気付くのが遅れ、お団子を3個食べてしまった。あってはならない事が起きてしまった。私はうつむく。この出来事の一部始終を見ていた妻はエル以上に豹変している。何故か無言です。私はいたたまれなくなりエルを連れて散歩に行く事にしました。
そしてそこで見たものは夢か幻か、私とエルにはそのどちらでも無い現実の中にいました。私と愛犬エルにはみたらし団子とすずめさんは同じ種類に分類されるらしい。そして皆さんも全く違う物が、同じ地平線上に現れる事があるかもしれません。
運が良ければ。
投稿年月日:2023年1月3日
題名:ふれあい喫茶のマスターに幸あれ(妻の目は 昭和の音を 奏でけり)
投稿者:冬帽子さん
マスターは、あの昭和の硬貨を探し続けていた。そして私は愛犬エルにその事を言うとも言わぬとものスタンスで話していた。その後ろで妻はパウンドケーキを焼きながら聞いていた。
ある日の午後、妻は突然ふれあい喫茶に行くと言い出し私はあ然としてしまった。出かけることになった私は妻と前後に並んで(笑)歩いて行きました。ふれあい喫茶に入ると、私は指定席に座り、妻は隣にぎこちなく座りました。コーヒーセットを二つ注文しゆっくりと味わう。普段は勝手にしゃべり出すのに、いやに神妙だ。食べ終わると500円硬貨を二枚カウンターに置いて「買い物があるから」と先に行ってしまった。私は遅れてコーヒーを飲み終え、何気なく硬貨を手にする。その時、心の中で流行語になりそうな「ブラボー」と身をよじりながら叫んだ。500円硬貨の二枚のうち一枚がマスターが捜していた昭和の硬貨だった。
私はマスターにここに代金を置いておくと言って店を出ようとドアに手をかけました。その時マスターはなんとオペラ歌手のように「ブラボー」と叫んでしまった。勢い余ってマスターは「Next rounds on me」(次は俺のおごりだ)とウィスキーのコマーシャルのように再び叫んでしまった。ふれあい喫茶は大声援に包まれました。
私は大声援を後にして店のドアを開け妻の夕陽に映る後ろ姿を目にしました。それはうさぎの影絵のようだった。妻はきっと私とエルの話しを聞いてマスターに恩返しをしたいと思ったに違いない。私は自慢の脚力を生かして妻を追いかける。そして「Next rounds on me」と叫ぶでしょう。
追伸
どうやら私は暫くふれあい喫茶のマスターの物語からまるで磁石のN極とS極のように離れられないらしい。
投稿年月日:2022年12月18日
題名:マスターの苦悩(さらさらと 記憶の彼方 砂のよう)
投稿者:冬帽子さん
マスターは少し有頂天になっていました。思いもよらずケーキセットは好評でした。ざくざくと500円硬貨がまるで魚釣りの入れ食いのように集まって来ました。マスターは銀行で両替をするわけでもなく、子どもの頃に両手で砂をすくって遊んだように、硬貨をすくってはさらさらと両手から落ちていく硬貨を、あたかも自分自身が落ちていくような感覚で眺めていました。しかし、まだ、あのギザギザの縁取りの無い昭和の硬貨は見つかっていません。
マスターは気持ちを静めるためコーヒーを飲もうとしました。しかし、豆を切らしていたため、仕方なく冷蔵庫の片隅にあったパックのミルクを飲むことにしました。ふと、野菜室のトマトが目に入り、何故だかあの松田優作を思い出しました。トマトを手に取りミルクを飲みながらかじってみました。マスターはミルクとトマトは単なる白と赤にしか見えなかったようです。そして「俺は俳優には向かない」と思いました。何故こんな思考になるのかよく判らないなりに最後のミルクを飲み干したとき、マスターはこのミルクは自分の人生に必要なものだと雷に打たれたような衝撃を受けました。では、また。
投稿年月日:2022年12月5日
題名:昭和の旅を五に託す(ふれあい喫茶マスター物語の続編)
投稿者:秋帽子さん
ふれあい喫茶の店先に何やら木製のイーゼルが立っている。よく見ると新メニューのお知らせが可愛いPOP(飾り付け)と共に載っている。紅茶またはコーヒーとショートケーキのセットで500円とある。但し書きに500円硬貨で支払うと飲物のお代わりができますと表示されている。
私はすぐに何かあると直感的に感じて素通りするはずだったふれあい喫茶の取っ手に手を掛けてしまった。いつもの席に座りマスターの後ろ姿を見つめる。少し肩が強ばって緊張しているようだ。私は紅茶のセットを注文して、このありきたりの新メニューと500円硬貨の関係を考えてみました。
ひょっとしたらマスターの目的は500円硬貨を手に入れることではないか、そして願わくば縁取りにギザギザの無い昭和の500円硬貨を手に入れたいのではないか、と。
マスターは、私があの女の子に500円硬貨を渡して謎を解いたように、マスターもほんの少し女の子の力を借りて、自分自身の昭和の思い出に浸りたくなったのでしょう。
それを確かめるために私は代金をピカピカの500円硬貨で支払い、マスターに「まるで中秋の名月のような硬貨ですね」と投げかけました。するとマスターは「僕が探しているのは、あの夕陽の思い出が詰まった500円硬貨です」とさらりと言って私から500円硬貨を受け取りました。
私はその時、私の想像が正しい事を確信しました。
投稿年月日:2022年11月27日
題名:新たな謎(オレンジジュースと女の子)
投稿者:秋帽子さん
私の目の前にはオレンジジュースが丸いコースターに置かれている。少しグラスの表面に水滴がつき始めている。まるでグラスにしがみつくように。そして私は考えなくても良いことを考えている。(なぜ、あのポニーテールの女の子は数あるジュースの中でオレンジジュースを頼み、なぜストローを使わずゴクリと飲んだのかと)。私は女の子に聞いてみたくなりました。しか出来そうにも無いので手品を使って彼女の手のひらに現れる事にしました。
私はオレンジジュースの代金500円を1枚の硬貨で支払い、ふれあい喫茶を後にしました。この500円硬貨を私と見立てて僅かな願いを込めてマスターに渡しました。私の昭和的推理では、再び女の子が喫茶に現れオレンジジュースを注文する。母親が支払いの際にあいにく小銭がなく1,000円札で支払う。それを待っていたかのようにマスターはお釣りとして私の支払った500円硬貨を母親にではなく、隣にいる女の子の手のひらにそっと置く。その硬貨は昭和のもので周りの縁取りにギザギザがありません。女の子は私の思い通りにその硬貨を強く握りしめる。この推理のようにいけば私の手品の実現となるはずです。そして女の子は私の推理通り手のひらに現れた私(500円玉)を強く握りしめてくれたようです。それはまさしくに私と女の子が繋がった瞬間となりました。
ある日、女の子は母親と買い物帰りの途中、手をつないで田舎道を歩いていました。そこに二人の目に飛び込んできたのは、西の空に沈んでいく鮮やかな夕陽でした。会話も忘れるぐらいの、また赤とんぼが飛んでいることさえ気付かないほど圧倒される夕陽です。いつしか二人はその夕焼け空の風景に溶け込んでいました。そして夕陽が沈む最後の瞬間、女の子はごくりと喉を鳴らして夕陽を呑み込んでしまいました。忘れられない思い出となって、いつまでも女の子の胸の奥に残るでしょう。
ふれあい喫茶にきた女の子は、女の子の目線でカウンターを地平線に、白い漆喰壁をあの西の空に、そしてごくりと飲んでしまった夕陽の代わりにオレンジジュースを頼んだのでした。(完)
投稿年月日:2022年11月17日
題名:謎は解けた(オレンジジュースと女の子)
投稿者:秋帽子さん
私は今、ふれあい喫茶の中央に陣取る丸いテーブルに静かに座っている。マスターの淹れたコーヒーから戦国時代の狼煙のように湯気が立ちのぼっている。妻の隠し味の真意について考えて見た。そう言えば、最初に出会ったレモン味のパウンドケーキの時は妻は何も言わなかった。言う必要性が無かった。レモンのしっかりした味だったから。その後、味見したパウンドケーキはなかなか隠し味を見いだす事が出来ず、もやもやと悩んでいた。妻は下からの見上げる目線で「どう?」と問いかけてきた。私は更に悩むことになる。妻と目線のあった愛犬エルは何故か尻尾をぐるぐる回してご機嫌です。もしかしたら妻の隠し味とは、それが何であるか判るか判らないかの限界点を見つける事にあるかもしれません。従って私が悩めば悩むほど効果があるのでは、と勝手に思いました。
マスターの淹れたコーヒーの湯気が消え、私がカップを手にすると、その先に見えたのはいつもの私の指定席。そこには小学生位の女の子が足をバタつかせて座っていた。その子の目の前にはオレンジジュースが置いてあった。ふれあい喫茶の多くの人がコーヒーや紅茶を楽しんでいる時、オレンジジュースは圧倒的な存在感を漂わせている。木製の厚みのあるカウンターと白い漆喰壁と一体となって、ジュースを飲む女の子と共に一つの絵画となっている。あたかも私は美術館にいるようだ。そしてその女の子は長いストローに口元が届かない事を全く気にすることもなく、直接タンブラーからゴクリとジュースを飲む。やがて飲み干してしまった。その時、その絵画はこのふれあい喫茶の隠し味のように消えてしまった。
少し長居をしたマスターは「謎は解けたようだね」と言っていつものコーヒーのおかわりの代わりに何故かオレンジジュースを出してくれました。
投稿年月日:2022年11月3日
題名:謎解き
投稿者:秋帽子さん
私は妻に出された謎を解くため愛犬エルを残して(隠れて家を出る)ふれあい喫茶の古民家風の重厚感溢れる取っ手を握って手前に引き、静かに店に入ってゆく。マスターはちらっと見ただけで何も言わない。いつもの風景がそこにある。私は勝手に決めている指定席に向かう。カウンターの一番奥の漆喰壁と一体になった席へ。そして手のひらを漆喰壁にかざして古民家の一部として壁が呼吸していることを確認する。それが、その席に座る為の私の流儀だ。
マスターは、いつものように「また、謎解きですか?」と笑ってコーヒーをカウンターに置く。私は砂糖とミルクをまるで数学の方程式を解く鍵のようにカップに注ぐ。
しかし、このコーヒーの香りが全ての時を止めてしまった。私は何も考える事無くコーヒーを味わう。考えてみればもともと妻が出した宿題には答えがあって無いようなものだから。
席を立ち帰ろうとすると、マスターはいつものように私のチケットから1枚をちぎり、いつものようにあの横断歩道を渡るこどもたちを優しく見つめるその眼差しで私を見送ってくれました。
投稿年月日:2022年10月23日
題名:隠し味
投稿者:秋帽子さん
愛犬エルと田んぼの落ち穂を見つけた散歩から帰ると、妻が焼いたパンケーキの品評をする事となりました。玄関ドアを開けたときパンケーキの香りがしたので覚悟はしていました。隠し味を当てるゲームのようなものです。いつものように私は妻から隠し味が何かを聞かされていません。
妻が聞く「どう?」 私が「おいしいよ」と答える。
再び「どう?」と語気を強めて言う。私は思わず「すずめさんが好きかも」と咄嗟にすずめさんを道連れにしてしまった。「あなたは、いつからすずめになったの」と妻の声が耳に入ってきました。
しかし私はその時、この妻の焼いた隠し味の分からないパンケーキを出来ることなら、ふれあい喫茶の白いソーサとカップが似合う淹れ立てのブラックコーヒーを飲みながら、ひとりぽっちでニヤニヤしながら隠し味が何か想像したいと思いました。
愛犬エルはさすがに知らんぷりしながら、何故か尻尾をぐるぐる回していました。それも、いつもよりたくさん…
投稿年月日:2022年10月10日
題名:めだかの学校
投稿者:夏帽子さん
川柳の部屋に投稿した「めだかの学校」について、私が想像の翼を広げたお話しです。
「めだかの学校」は川の中ですが、川の中では私は生きていけないので、シチュエーションを鄙びた木造校舎(昭和40年代頃の岩野田小学校を思い浮かべてください)と置き換えます。学校となると、私はさっそく用務員になると宣言しました。必然的に配偶者が校長に、愛犬が教頭に就任しました。あたかも我が家の縮図のように。用務員さんの最初の仕事は授業開始の鐘を鳴らすことです。私はこの鐘の音が誰にも届くように、そしてあの国民的歌手の有名な歌の題名のように(あの鐘を鳴らすのはあなた)と言われたい。
しかし、その前に校長先生と教頭先生の許可を得る必要がありますが。校長先生はショートケーキ2個と教頭先生は長めの散歩を予定しています。
投稿年月日:2022年7月3日
題名:巣立ち間近
投稿者:神谷 富雄
我が家の倉庫の軒下で子育てをしているツバメの親と5羽の雛です。
実際には昼間、雛たちは巣から出て元気に近くを飛んでます。自由に飛び回る練習をしているのでしょうか。そして夕方になると巣に戻り、一列に並んで親鳥が運んでくる餌を待っているようです。
雛たちが餌を自身で取れるようになるまで、後どのくらいでしょうか。巣立ちのその日は間近に感じられます。
投稿年月日:2022年6月7日
題名 :私と子どもの赤い物語
投稿者:山田 和昭さん
私は食べ物の好き嫌いが激しく、給食の時いつも教室に最後まで残され、夕日を浴びながらスプーンを持ったまま「べそ」を掻いていました。先生もさじを投げていたようです。
そんなある日の給食時間、担任の奥田先生が自分のトレーを私の前に差し出し、優しく微笑みながら「好きなものがあれば取りなさい」と。私は周りの冷やかしや歓声が全く耳に入らず、恐る恐る赤いウィンナーを指差しました。全員で「いただきます」と手を合わせるより早く、私はその赤いウィンナーを食べていました。小学校時代の忘れられない思い出です。
そして年月が過ぎ、私の子どもは小学校の学童野球に入りました。ユニフォームのアンダーシャツは赤、ヘルメットも赤。そして、やはり赤いウィンナーは大好物でした。
私は小学校時代のほろ苦い赤い思い出をダブらせて、子どもの成長を眺めていました。
そんな子どもも、今はいっぱしの大人。親の思う赤い繋がりを知ってか知らずか、元気に生活してます。
投稿年月日 2021年4月6日
題名 : 見守り感謝状
出品者:神谷富雄さん
小学校終業式の日、小二の孫から感謝状をもらいました。
決まった書式の中に手書きで「いつも私たちの登下校を見守って下さってありがとうございます」という内容。まさか感謝状をもらうとは思ってもいなかったので、少しの驚きと、こちらこそありがとう、という感謝の気持ちで一杯に。
私は、先輩からの誘いで256号バイパスの交差点で、毎朝7時25分頃から45分頃まで小学生の登校時に合わせ、子どもたちが安全に通学できるよう見守りを行っています。
黄色の旗を持った班長に続き、黄色い帽子を被った子どもたちが元気よく横断歩道を歩いて行く。「おはよう。いってらっしゃい。」と声をかけると「おはようございます。いってきます。」と笑顔とともに元気な声で返事が返ってくる。私も笑顔になり元気がもらえます。
たまには、遅れて走ってくる子や、忘れ物をして走って戻ってくる子もいて、そんな時は「気をつけて行くんだよ」と声をかけると「は~い」と可愛い返事。
こんな優しい元気をもらい、私は身支度をして今日もいい一日になるだろうと思いながら出社します。
4月からは新一年生が加わり、新しい顔を見るのが楽しみです。また卒業した六年生の新中学生の姿を見るのも楽しみです。
この何気ない日常が過ごせることに感謝し、また新学期から優しく見守っていこうと思います。
投稿年月日 2021年3月29日