眉山の頂上には築造時期4世紀後半といわれる鎧塚古墳があります。古墳の全貌は確認しにくいですが、いわれて見れば確かに前方後円墳です。
古墳前に設置された岐阜市教育委委員会の説明看板には、汚れて読みづらいですが次のように書かれています。
岐阜市指定史跡
鎧塚古墳 昭和四十四年十二月十六日指定
岐阜市北部から南流してきた鳥羽川が、平野部へ流れ出ようとする地に眉山(標高二三一m)があり、その頂上に鎧塚古墳がある。
鎧塚古墳は前方後円墳で、墳丘は後円部から強くくびれ、前方部の高さは後円部の高さより低い。葺石 埴輪があることがわかっている。内部主体は不明だが、竪穴式石室の可能性がある。江戸時代末期の盗掘に際し鎧が出土したが、その後埋め戻したという。遺物としては、他に円筒埴輪の基部がある。築造時期は四世紀後半である。
全長 八二m
後円部直径 三三m
後円部高さ 五.五m
前方部幅 四〇m
前方部高さ 五.〇 ~ 四.五m
前方後円墳といえばヤマト王権の象徴ですよね。私たちのまちに当時から中央政権の影響を受けるような豪族がいらっしゃったとは。いったいどちらさんのご先祖さまですかねえ。
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